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東京地方裁判所 平成6年(ワ)10441号 判決 1996年12月24日

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

垰野兪

横塚章

岡田健一

被告

乙山春男

被告

丙村一郎

右被告ら訴訟代理人弁護士

木澤克之

藤原浩

石島美也子

鈴木道夫

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、原告に対し、各自金八〇〇〇万円及びこれに対する平成六年五月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、A大学の助教授である原告が、同大大学院工学研究科設置の認可を受けるために同大学が文部省に提出する教員予定者の過去の研究活動等の記載された業績報告書について、同じ学科の教授及び助教授である被告らが、真実は原告が行った研究について、あたかも被告らの研究業績であるかのように右業績報告書に記載して提出したことにより、原告の名誉感情が不法に侵害され、精神的損害を被ったとして、損害賠償を請求した事案である。

二  争いのない事実等

1  (当事者)

原告は、A大学工学部機械工学科の助教授であり、被告乙山春男(以下「被告乙山」という。)及び被告丙村一郎(以下「被告丙村」という。)は、それぞれ同学科の教授及び助教授である。

2  (原告及び被告らが行ってきた共同研究について)

(一) 被告乙山は、昭和四一年ころ、B大学理工学部機械工学科熱コースの先輩であるEと共に、ディーゼルエンジンクランク軸系の振動に関連する全般的な研究をするための両名を中心とした研究グループを作った。その中で、被告乙山は、駆動軸系を含めたクランク軸系全体の振動解析法の確立を目的とする研究を行ってきた。

この研究は、被告乙山が文献調査をし、これに基づき研究テーマを決定したものであり、小型高速ディーゼル機関のクランク軸系のねじり振動について、角変位振幅及び振動付加応力の値を精度良く算出できる解析方法を確立し、機関設計段階においてクランク軸系の安全を図るために有効な手段を提供することを目的としていた。そして、被告乙山は、実験方法の確立及び実験データの収集、角変位解析に推移マトリックス法を導入する解析方法及び振動付加応力の解析に伝達マトリックス法を導入する解析方法の確立並びにこれら解析方法に則った計算手法の確立等を行い、昭和五七年、これを博士学位論文にまとめて、B大学の博士号を取得した。

(二) その後、被告乙山は、A大学において、右解析法の適用拡大を目指した研究を継続してきた。

そして、昭和五二年ころから被告丙村が、昭和五八年ころから原告が、それぞれ右研究グループに参加した(以下、右研究グループを「本件研究グループ」という。)。

3  (業績報告書の提出について)

(一) A大学工学部では、かねてから大学院工学研究科の設置を検討していたが、平成三年四月、同学部内に大学院設置準備委員会が発足し、同年七月には、同学部教授会及び大学理事会において、文部省に対し、大学院工学研究科開設の認可申請を行うことが決定された。

(二) 右認可申請には、大学院工学研究科の教員になることを予定する者の研究業績を報告する教員研究業績書(以下「業績書」という。)を文部省に提出する必要があった。

そこで、原告及び被告らを含む工学部の教員は、自己の業績書をそれぞれ作成して提出した。

4  (被告らの業績書の記載内容)

被告乙山の業績書中のA欄10、14、16、17、20、24及び21、B欄11、21、23、29、14及び20並びに被告丙村の業績書中の14、20、17及び7の各項には、本件研究グループに属する研究者の各研究における分担について、それぞれ別表「被告らの業績書の記載」欄のとおりの記載がある(以下、右の各項の研究を「本件各研究」という。)。

三  争点

1  本件各研究の実際の研究分担がどのようなものであったか。

2  被告らの業績書の記載によって、原告の法的保護に値する名誉感情の侵害があったといえるか。

四  争点1についての当事者の主張

1  原告

(一) 本件各研究の本件研究グループのメンバー間における実際の研究分担はそれぞれ別表「実際の研究分担」欄記載のとおりである。

なお、ここで「計算」とは、物理現象を説明するため、数学を応用して式(解析式)を立て、その式を解く方法(解析法)を探求し、この解析法に基づいた計算手法を考案してこれにデータを当てはめて数値を算出するという一連の作業をいい、「実験」とは、実験装置や実験対象物を製作、確保し、これらを利用し実験を実施して結果を得、これをまとめる作業をいう。

(二) 本件各研究は、原告の着想に基づく研究であり、原告が中心になって行われたものである。

これに対し、被告らの業績書の記載は、原告が実際に分担した部分を自己の分担として記載したり、原告が行っていない分担を原告が行ったかのように記載したりしており、実際の研究分担とは異なっている。

被告乙山は、本件各研究について、いずれも、「総括、」「解析」又は「評価」を行ったとの記載をしているが、同被告は、平成元年四月から平成四年三月までA大学の教務部長を、また、平成二年一二月から平成三年一一月までは学長室長も兼務しており、平成四年四月から工学部機械工学科学科主任、大学院工学研究科設立準備委員に就任するなど多忙であって、本件各研究にはあまり関与していなかった。

(三) 右の一例として、被告乙山の業績書中のA欄17項(以下「研究(一)」という。)及び同20項(被告丙村の業績書では14項。以下「研究(二)」という。)記載の研究について述べる。

(1) 研究(一)は、高速ディーゼルエンジンのクランク軸系を対象として、実験と伝達マトリックス法を用いた振動付加応力の波形をシミュレーション計算により解明しようとするものである。

研究(一)の論文の特徴は、次数振動成分により表現される実際の振動現象を、伝達マトリックス法の計算法により直接計算するため、新たに式を加え、次数振動成分を重ね合わせて、実際の振動に近似する振動現象を直接計算できることを提示したところにある。

右の着想は、原告によるものであり、原告は、従前使用していたコンピュータプログラムを追加、変更し、また、大型計算機で計算結果を直接作図できるようにプログラムを改良して、計算結果を得、既にEから渡されていた実験値との比較対照を行ったのである。そして、原告は、これをもとに論文を執筆し、日本舶用学会第四六回春期講演会(平成二年五月開催)で講演した。なお、計算機で直接作図した者以外の図表は、Kが作成した。

(2) 研究(二)は、研究(一)と同様の考え方に立つものであり、検証したデータ数を増やしたものである。

この論文も、原告が作成したものであり、米国での講演(平成三年二月)も原告が行った。

(3) これらの研究には、被告らは全く関与していない。

2  被告ら

(一) 被告らの業績書における記載は、いずれも実際の研究分担を記載したものである。

なお、被告らの業績書の記載中の「総括」とは研究目的や方法、研究計画の立案を含めた研究テーマを決定することをいい、「解析」とは解析法を確立すること、「計算」とは、解析法に則った計算手法を確立し、計算を実施してその結果を検討すること、「実験」とは、実験装置等を準備して実験を実施し、その結果を検討すること、「評価」とは、実験結果と計算結果を比較検討して解析法の妥当性を評価検討などをすることをいう。

(二) 本件各研究は、いずれも、被告乙山の確立した解析法の適用拡大を目指す研究の一つと位置づけられるものである。

(三)(1) 被告乙山の一連の研究の構想には、当初から、振動波形の合成に関する波形計算をすることが含まれていた。実験計画にも、これに沿った波形の測定が含まれており、昭和五一年ころまでにはその実験データは採取していた。実験の計画及び実施は、被告らがEと共に行っている。

研究(一)及び(二)において、原告が行ったことは、原告が本件研究グループに参加する前に採取された実験データを、Kと共に整理し、論文の目的に沿ったデータを選択したうえ、数値計算を行って、論文を執筆したのである。

また、論文の作成や講演についても、被告乙山が全面的に指導、指示している。

結局、研究(一)及び(二)における研究分担は、被告乙山が総括、解析、計算、実験(全般)及び評価を、被告丙村が実験(全般)、計算及び評価を、原告が実験(結果の検討)及び計算を行ったものであるということができる。

(2) なお、研究(一)及び(二)における被告らの記載は、右の実際の研究分担とは若干異なっているが、これは、研究(一)の論文が、被告ら及びEが委員等を務める社団法人日本舶用機関学会機関振動研究委員会において、学会誌の特集号に掲載されることに決まったため、被告丙村の名前をはずす必要が生じるなどしたためである。

五  争点2についての当事者の主張

1  原告

(一) 研究(一)及び(二)に例示される本件各研究は、原告が中心になって行った研究であり、原告がファースト・オーサーとしての地位を有するものである。

被告らは、共謀して、原告に無断で、各人の業績書において、これらの各研究について前記のとおりの虚偽の記載をし、原告のファースト・オーサーとしての業績を有する本件各研究を、あたかも被告らがファースト・オーサーであり、被告らの業績であるかのような記載をしたものである。

(二) 右に加え、本件における業績書は、大学院設置認可手続のために大学や文部省に提出される準公的なものであり、事実に即した誠実な記載が要求される性質のものであること、被告らの業績書が文部省において大学院設置認可手続の資料として実際に供されたこと、原告が教授昇格や大学院担当教員就任の審査を受け得る地位にあることなどにかんがみれば、被告らの右行為は、原告の研究者としての名誉感情を著しく侵害するものである。そして、このような名誉感情の侵害は、社会通念上許される限度を超えた違法なものというべきである。

(三) 原告は、被告らの右行為により甚大な精神的損害を被った。この損害を賠償するには、八〇〇〇万円の支払をもって充てるのが相当である。

2  被告ら

(一) 本件における業績書は、文部省に提出する大学院研究科設置の認可申請書に添付されるものであり、その使用目的は、被告らの大学院担当教員としての適否を審査することのみに限定されている。また、将来被告らの業績書の内容が、全く別の手続において原告の評価を行うための資料として流用されることはない。業績書の内容を理解し、詳細に読む可能性のあるのは、審査を担当する大学設置・学校法人審議会に置かれたごく少数の工学専門委員のみである。そして、被告らの業績書は、認可手続終了後、その控が大学において保管されるが、人事に関する重要書類として厳重に管理されており、業績書作成者本人以外が閲覧することはできない。

このように、被告らの業績書は、非公開の資料であり、本来原告が閲覧することもあり得ないものである。名誉感情侵害による不法行為成立の要件として、公然性が必要ないとされる場合があるが、これを認めた判決例は、侮辱行為等が、被侵害者に対し直接向けられ、その名誉感情を著しく侵害しているとされるのであり、本件における業績書は、公然性を有しないばかりか、原告に向けて書かれたものでもなく、そもそも原告が見ることが予定されていない書面であって、原告が特殊な事情から被告らの業績書の内容を知るに至り、もって何らかの感情を害したとしても、そのことにより被告らの行為が違法性を帯びるということはできないというべきである。

(二) 原告は、被告らの行為により、原告のファースト・オーサーとしての地位を否定されたと主張する。

しかし、共著にかかる研究論文の評価は、ファースト・オーサーだけではなく、共著者全員に対するものであり、原告の主張はその前提を欠き、失当である。

(三) また、本件各研究は、いずれも、被告乙山の一連の研究の一部をなすものであって、原告独自の着想に基づくオリジナルなものではない。したがって、原告の主張する名誉感情は、何ら法的に保護されるべきものではないというべきである。

(四) 原告は、被告らが共謀して業績書に虚偽の記載をしたと主張するが、本件における業績書は、被告らが各自の判断において作成し、それぞれが直接大学当局に提出しており、教員間で記載内容を互いに示すことはしていない。

第三  当裁判所の判断

本件訴訟において、原告は、別表記載の本件各研究について、被告らの業績書の記載が真実の研究分担と異なっており、これにより原告の研究があたかも被告らの研究であるかのような記載がされているとして、名誉感情の侵害による損害賠償を請求している。

民法七一〇条、同法七二三条にいう名誉とは、人がその人格的価値について社会から受ける客観的な評価、すなわち、社会的名誉を指すものであって、人が自己自身の人格的価値について有する主観的な評価、すなわち、名誉感情は含まないものと解すべきであるが、名誉感情がおよそ法的保護に値せずこれを害されても不法行為が成立する余地が全くないと解するのは相当ではない。人が自らの人格的価値について誇りを持っているのに、それが主観的な評価にすぎないことだけを理由に、他人が、正当な理由なく、これを全く無価値なものとして否定して精神的苦痛を与えることが、何らの制約なく許されると解する理由はないからである。職業人として有する才能、力量、技能、仕事の結果に対する誇り等についても同様のことが言えるであろう。他方、これらについての主観的な評価は内心の問題であり、個人差が大きい上、他人のいかなる言動によって名誉感情が害されることになるか、害されるとしてどの程度かという点についても個人差が著しく、他人からは容易にうかがい知ることができないから、名誉感情の侵害の有無、その程度を把握することは、侵害行為の内容、状況等の外形的、客観的要素に基づいてこれを行うのでない限り、困難なことであるといわなければならない。のみならず、もともと社会生活を送る以上人との摩擦は免れ難いし、何気なく言った言葉が人の感情を害してしまうことはありがちなことであり、その大多数は法的な責任の問題として取り上げるのではなく、個人の良識と寛容の精神によって解決していくべき問題であろう。そうすると、人の人格的価値その他の法的保護に値するものに対する名誉感情を害する行為が不法行為を構成するのは、右両面の理由からして、誰であっても名誉感情を害されることになるような、看過し難い、明確、かつ、程度の甚だしい侵害行為がされた場合ということになろう。換言すれば、当該行為がされた状況下においてそれが持つ客観的な意味が、相手方の人格的価値等を全く無価値なものであるとしてこれを否定するものであるか、その程度が著しいなど、違法性が強度で、社会通念上到底容認し得ないものである場合であり、実際上は加害の意思を持って甚だしい人格攻撃を行ったような場合に限られるものと解される。いずれにしても、その態様、程度等から見て社会通念上許される限度を超える侵害があったものと認められる場合には、人格権の侵害があったものとして精神的苦痛に対する慰謝料を請求することができるものと解するのが相当である。

ところで、学者が自ら行った研究は、その人の人格的価値そのものでないことはいうまでもないが、真理の探究を目指し、学者としての良心の命ずるところに従い、全人格的価値を投入して全力を尽くして行われるべきであるという性質に照らすと、研究の成果も学者のいわば分身として学者としての人格的価値に準じてとらえることのできる面があるから、学者が自らの研究の成果について誇りを持ち、学会等において正当に研究業績を評価されたいと考えるのは無理からぬところであるが、他方、学者の研究は、真理の探究を目的として行われ、そこに価値の源泉があり、むしろ他者からの厳しい批判、評価の対象となり、これにさらされることが真理の探究につながることからすると、学者として研究を行う以上そのような厳しい批判、評価が行われることは当然覚悟すべきことであるから、真理の探究を目的として行われる批判、評価である限り、仮にそれが学者の名誉感情を害するものであったとしても、不法行為を構成するものではないと解するのが相当である。しかしながら、そのような正当な批判、評価ではなく、また、教育的見地からの叱責等、正当な理由に基づいてされる行為は別として、当該研究者に対して専ら嫌がらせをする目的で行うなど、加害の意思を持ってされる根拠のない攻撃に対してまで甘んじなければならない理由はない。したがって、加害の意思を持ってその研究の価値を全く否定し、あるいはその研究を行うに当たって当該学者が果たした役割を全く否定するような行為は、不法行為を構成するものと解するのが相当である(なお、研究の学問的な評価をめぐる争いは、学説の当否に関する争いと同様に法律上の争訟ではないから、裁判所の判断の対象となるものではないが、加害の意思を持ってその研究の価値を全く否定したか否かの判断は当該研究の学問的な評価をせずに行えるものであるし、その研究を行うに当たって当該学者が果たした役割をめぐる争いについても、その学問的な評価に立ち入らないで行える限度では法律上の争訟に当たるものと解するのが相当である。)。そして、そのような行為は、当該学者に対して直接的にされるものに限らず、当該学者が直接目にしたり、耳にする性質のものではないが、学会等において正当に評価されたいという当該学者の願いを妨げることになる意義を有するものであれば、名誉感情に対する社会通念上許される限度を超える侵害行為というべきであるから、人格権の侵害があったものとして精神的苦痛に対する慰謝料を請求することができるものと解するのが相当である。

これを本件について見ると、研究(一)及び(二)についての被告らによる業績書の記載が、真理の探究を目的として行われた批判、評価の範疇に属するものでないことは、当該行為の内容、性質自体によって明らかであるから、以下被告らの右行為が研究(一)及び(二)を行うに当たって原告が果たした役割を全く否定するようなものであり、社会通念上許される限度を超える原告の名誉感情に対する侵害行為ということができるか否かについて検討する。

なお、原告は、本件各研究すべてについて原告の名誉感情に対する侵害行為があったと主張して本件訴訟を提起するに至ったものであるが、審理の場においては、当裁判所の勧告に従い、本件各研究のうち、とりわけ原告の名誉感情に対する侵害が顕著であるとして、研究(一)及び(二)に絞って主張立証を行った。そこで、以下では、右研究(一)及び(二)に関する各争点について検討することにする。

一  争点1について

1  証拠(甲四号証ないし第一七号証、乙第一九号証ないし第二二号証、第二六号証、第二七号証、第二九号証ないし第四〇号証、第四一号証の一及び二、第四二号証の一及び二、第四三号証の一及び二、第四四号証、第四五号証の一ないし三、第四六号証、原告及び被告ら各本人尋問の結果)並びに弁論の全趣旨によれば、研究(一)及び(二)の各研究及び論文や講演の行われた状況、経緯については次のとおりであると認められる。

(一) 研究(一)は、被告乙山が確立した伝達マトリックス法を導入した振動付加応力の解析法の適用範囲を拡大することを目的とする本件研究グループの一連の研究の一内容となるものであり、数次の振動成分を含んだ振動現象につき、被告乙山の確立した伝達マトリックス法を採用した振動付加応力波形のシミュレーション計算法を提示するため、新たに数式を付加し、その妥当性を検証することを目的としたものである。新たに付加された数式は、「フーリエ級数」として既知のものであった。

研究(二)は、研究(一)で提示され、妥当性も検証された解析法について、さらにデータ数を増やして検証を行い、その妥当性を追検証することを目的としたものである。

(二) 本件研究グループの一連の研究は、被告乙山が中心となって、その研究目的に従い、具体的なテーマを設定して研究を進めていたが、研究(一)及び(二)の各研究も、クランク軸の振動付加応力現象を伝達マトリックス法の解析法により直接計算する方法を探ることを研究目的としているととらえることができ、その意味では、被告乙山の当初の研究計画に含まれていた。

(三) 原告は、そのような本件研究グループの方針に従い、研究(一)及び(二)の各研究(内容としてはほぼ同一のもの)に従事した。そして、原告は、被告乙山の確立した伝達マトリックス法による解析法に、フーリエ級数の数式を加えることにより、その研究目的を達することができるのではないかと考え、その計算式を考案した。原告は、さらに、右計算式に従い、コンピュータプログラムの変更を行い(伝達マトリックス法による解析法に基づくプログラム自体は既に開発されていた。)、さらにその計算結果を大型計算機で直接作図できるようにプログラムを再構築した。これらの作業をして計算結果を取得するまでに、二、三か月を要した。

(四) 原告は、研究(一)及び(二)の各研究に必要な実験データを本件研究グループの一員であるEから受け取ったが、本件研究グループの実証データは、被告乙山やEが中心になって取得されたものであり、被告丙村も右実験に関与していた。

(五) 研究(一)及び(二)の各研究論文は、被告乙山の指示により、原告が執筆し、講演も原告が行った。

(1) 被告乙山は、原告が学会の査読を経た学術論文を執筆したことがなかったので、原告のきたるべき博士学位論文作成の一助にもなるであろうと考え、原告に対し、研究(一)の研究内容(波形のシミュレーション計算法の提示)を指示すると共に、右研究論文を執筆して学術講演会で講演することを勧めた。

被告乙山は、昭和六三年四月以降、社団法人日本舶用機関学会機関振動研究委員会の委員長を務めていたが、平成二年一月二三日の委員会において、原告を寄稿者の一人として推薦し、委員会の了承を得た。その後、原告は、講演申込みをしたが、その際の表題は「高速ディーゼル機関クランク軸系のねじり曲げ連成振動に関する研究(第三報・三次元伝達マトリックス法による振動付加応力波形計算)」とし、共同研究者の筆頭をEとしたものであった。被告乙山は、原告に指示して表題を変更させたほか、筆頭者を論文の執筆及び講演を行う原告と変更させた。

被告丙村は、被告乙山の指示により、原告の執筆した研究(一)の研究論文の校正を行った。

(2) 研究(二)の研究論文は、原告が執筆して講演したものであり、被告らは、右研究論文自体には直接関与していない。

2  以上の認定に対し、原告は、被告らが研究(一)及び(二)の各研究には全く関与していないと主張し、原告本人もその旨供述するが、前掲証拠に照らせば、研究(一)は、その研究目的を見る限り被告乙山の一連の研究の一環として位置付けられるものであり、研究(一)の研究論文の執筆、学会誌への出稿及び講演の過程に、被告乙山が深く関与していることは明らかというべきであって、被告らがこれに全く関与していないということはできない。原告は、被告乙山が当時教務部長であったり、学長室長の地位にあったとして、研究にあまり参加していなかったと主張するが、研究(一)は、実験データ自体は既存のものを利用したものであり、この研究の主眼は伝達マトリックス法をどのように拡大適用していくかという点にあったのであるから、被告乙山が多忙であったといっても、この研究に前記認定のような形で同被告が関与することは可能であったと解されるし、また、研究(二)は、単に研究(一)をさらに豊富なデータによって追検証することを目的とするものであるから、その論文執筆及び講演の担当者が原告であり、論文執筆や講演に被告らが関わっていないことは格別、研究自体の分担は、研究(一)と同一であるというべきである。

そうすると、これらの研究に被告乙山が関与していないとする原告の主張に沿う原告本人の供述部分は採用できず、原告の右主張は理由がない。

3(一)  被告らが研究(一)及び(二)について業績書に記載した内容は前記第二の二4のとおりであり、研究(一)について、被告乙山の業績書には、実験担当がE、K及び原告であり、総括、解析、計算及び評価を担当したのが被告乙山であるとする記載があり、研究(二)については、被告乙山の業績書には実験担当が被告丙村、計算担当がKと原告、総括及び解析を担当したのが被告乙山であり、Eが助言をしたとする記載がある。また、研究(二)の研究分担に関する被告丙村の業績書の記載も被告乙山と同一である。

(二)  ところで、機械工学における学術研究の研究分担の記載方法について、原告は、これを計算と実験に分けたうえ、「計算」とは、物理現象を説明するため、数学を応用して式(解析式)を立て、その式を解く方法(解析法)を探求し、この解析法に基づいた計算手法を考案してこれにデータを当てはめて数値を算出するという一連の作業をいい、「実験」とは、実験装置や実験対象物を製作、確保し、これらを利用し実験を実施して結果を得、これをまとめる作業をいうとし、さらに、「執筆」及び「講演」という担当を設けるべきことを主張するのに対し、被告らは、右研究分担を総括、解析、計算、実験及び評価の四つに分類したうえ、「総括」とは研究目的や方法、研究計画の立案を含めた研究テーマを決定することをいい、「解析」とは解析法を確立すること、「計算」とは、解析法に則った計算手法を確立し、計算を実施してその結果を検討すること、「実験」とは、実験装置等を準備して実験を実施し、その結果を検討すること、「評価」とは、実験結果と計算結果を比較検討して解析法の妥当性の評価検討などをすることをいうと主張する。

両者のいずれの分類方法が機械工学の分野における研究分担の表示の仕方として通常用いられるものであるかについてはともかくとして、両者の右主張を対比して見れば、原告のいう「計算」とは被告のいう「解析」と「計算」をあわせたものであり、「実験」の意味内容については当事者間での認識はほぼ同一であるということができる。

(三)  そして、研究(一)及び(二)の実際の研究分担は前記一1のとおりであり、これによれば、これらの研究の実験を担当したのは主に被告乙山及びEであり、被告丙村もこれに関与しており、計算(被告らのいうところの「解析」及び「計算」)を担当したのが原告であるということができる。そして、被告らの分類方法を前提とした場合、被告らのいうところの「総括」は、被告乙山が、同じく「評価」は原告が行ったと見るのが相当である。

これに対し、被告らは、研究(一)及び(二)においても、その研究テーマを決め、研究全般を統括したのは被告乙山であり、原告が行ったのは、被告乙山の指示に従って、必要なデータを抽出して計算(解析法の確立を含まない単純な計算作業)を行い、これを論文にまとめて講演したにすぎない、研究(一)及び(二)において原告の主張する新たな数式の導入はフーリエ級数として既知のものであり、被告乙山の研究において既に言及されているから、原告のオリジナリティを有するものではないと主張する。

前記争いのない事実及び前記認定事実によれば、研究(一)及び(二)の研究が、ディーゼルエンジンの振動解析に推移マトリックス法及び伝達マトリックス法を導入した解析法の適用範囲を拡大しようという被告乙山ないし本件研究グループによる一連の研究の一環であり、被告乙山の統括、指導の下に進められてきたことは明らかであるということができ、その意味で、研究(一)及び(二)についてもその統括、指導をしたのは被告乙山であり、具体的に見ても被告乙山の指示の下に原告がその研究に従事していたものである。そして、証拠(乙第二九号証、第四六号証)によれば、フーリエ級数は機械工学等の分野において既知の概念であり、被告乙山による一連の研究の中でも言及されていることが認められる。

しかし、前記認定のとおり、研究(一)及び(二)において、実際に伝達マトリックス法による振動解析にフーリエ級数を導入して必要な計算を行い、その妥当性を検討したのは原告であるから、その学問的な評価としてオリジナリティがあるか否かはさておき、原告が単純な計算作業のみをしたということはできない。この判断は、研究(一)及び(二)において原告が実際に果たした役割が何かにかかわるものであり、学問的な評価としてオリジナリティがあるか否かの問題ではない。前掲乙第二九号証では、被告乙山がクランク軸系のねじり振動を推移マトリックス法による解析法を提示する際にフーリエ級数について言及しているものの、これをもって前記判断が異なるものとなるということはできない。

(四)  したがって、前記(一)における被告らがそれぞれの業績書に記載した原告及び被告らの研究分担と、右(三)において判示した研究(一)及び(二)における研究分担とは、研究(一)については、原告は計算、解析、評価を行っているのに被告乙山がこれらを行ったこととされ、原告は行ってもいない実験を行ったとされている点、研究(二)については、原告らが解析を行ったのに被告乙山がこれを行ったとされている点において相違しているということができる。

二  争点2について

1(一)  研究(一)及び(二)における被告らの業績書の記載が実際の研究分担と相違している点は右(一3(四))で述べたとおりであり、「総括」、「解析」及び「評価」を被告乙山が行ったとし、一方原告は、計算又は実験を担当したとしている点において相違している。また、原稿の執筆や講演についての記載のないことは、前述のとおりである。

そのうち、論文の執筆や講演についての記載のないことは、被告らは業績書には当該研究の研究分担について記載しており、他の項目についても論文の執筆や講演について触れていないことからすれば、これをもって原告の右の各研究における役割に反した記載がされたということはできない。

しかし、被告らによる研究分担についての記載は、これらの研究が、被告乙山を中心として行われたものであり、具体的な研究作業や計算結果や実験データとの比較検討も同被告が行ったものであるとの意義を有するものであるということができる。

(2) この点、被告らは、研究(一)及び(二)は、まさに被告乙山が中心となって行われたものであって、これらの研究に対する原告の関与、貢献は大きいものではないと主張し、証拠(乙第二六号証、第二七号証、被告らの各本人尋問の結果)においても、同様の供述があり、右証拠によれば、被告らは、右の各研究における原告及び被告らの役割について右のとおりの認識を有しており、被告らが研究(一)及び(二)を被告乙山ないし本件研究グループによる一連の研究の一環であると認識する一方で、これらの研究が振動現象を解析するための新たな計算式を導入したもので一個の独立の研究として存立するものであるとの認識が希薄であることが認められる。

たしかに、研究(一)及び(二)を被告乙山ないし本件研究グループの一連の研究全体の一部であるとの視点で見れば、右の各研究における被告乙山の果たした役割は、これらの各研究の実際の作業に携わっていなかったとしても、極めて大きいものであるということができ、その意味では、被告らの右認識は正鵠を得たものということができる。

しかしながら、右の各研究をそれぞれ一個の独立した研究としてとらえたとき、その研究を中心として行ったのは、実際に計算式を導出し、これに基づく計算をして既存の実験データとの比較対照を行った原告であるといわなければならない。被告らの主張及び右証拠から認められる被告らの認識は、被告乙山ないし本件研究グループの一連の研究全体の流れを重視するあまり、個別の研究の成果やそれぞれの研究を分担した者の貢献を軽く見るに過ぎたものというべきである。

そして、業績書への記載方法あるいは学術研究における研究分担の表示方法として、機械工学の分野においては、「総括」、「解析」及び「評価」が、本件における被告乙山のように、当該研究を含む一連の研究全体の中心的人物であり、研究を全体として統括し方向付けるような立場の者を記載するというような慣行が存するのであれば格別、本件においてはそのような慣行を認めるに足りる証拠はないから、本件における被告らの業績書への記載は、当該研究について原告が中心となって行ったという原告の役割についてこれを矮小化しているとの印象を受けざるを得ない。

2  しかし、被告らの業績書の記載が右のようなものであるとしても、なお、社会通念上許された限度を超えて、原告の名誉感情を侵害したものと認めることはできない。

すなわち、加害の意思を持って学者の研究の価値を全く否定し、あるいはその研究を行うに当たって当該学者の果たした役割を全く否定するような行為が、当該学者の名誉感情を違法に侵害するものとして不法行為を構成するものと解するのが相当であることは既に述べたとおりであるが、前述のとおり、研究(一)及び(二)をはじめとして、本件各研究は、被告乙山を中心とした本件研究グループによって計画され、進められたものであり、被告乙山によって指導され、方向付けられた一連の研究の一環であるということができる。研究(一)及び(二)に即して検討しても、フーリエ級数の導入による計算という原告が独自性を主張する部分を除けば、原告が執筆した論文の相当部分は過去に被告乙山の執筆した論文の内容をほぼそのまま引用したものということができる(被告乙山の執筆した乙第三五号証(「月刊内燃機関」平成二年三月号に記載)と、研究(一)の論文である乙第三七号証(甲第五号証と同一のもの。平成二年九月発行の日本舶用機関学会誌に掲載)を対比すれば、原告の右論文には、被告乙山の右論文の記載を若干組み替えて、ほとんどそのまま引用した部分が相当あることが認められる。)。このように、本件研究グループによる一連の研究に着目すると、被告乙山の果たした役割は大きいものがあるから、研究(一)及び(二)について同被告がその業績書に前記のように記載した行為も、この点から見るとおよそ根拠のないものと断ずることはできないことになるし、また、被告乙山による業績書の右記載部分には、実際に行った役割とは異なるものの、共同して研究した者として原告の氏名も掲記されているのであって、このことをも併せて考えると、被告乙山による右記載行為は、原告の行った研究の成果の価値を全く否定するものであるとはいえないし、その研究を行うに当たって原告が果たした役割を全く否定するようなものであるとまでいうに足りないものといわざるを得ない。

また、被告乙山としても、研究(一)を、本格的な学術論文を執筆し、来るべき原告の博士論文作成の一助となるように配慮して、その研究及び論文執筆を勧めたのであり、証拠(甲第一七号証、乙第一二号証の一ないし三、第一三号証の一及び二、乙第二六号証、被告乙山本人尋問の結果)によれば、被告乙山は、A大学の助教授でありながら博士号を持たない原告に博士号を取得させるためにC大学の博士課程に入学させるなど便宜を図っていたことが認められるのであって、被告乙山は原告の学者としての成長を願っていたことがうかがわれるのである。前述のとおり、被告らの業績書の記載は正確なものとはいい難いが、右のような被告乙山の原告に対する配慮に照らせば、被告乙山において、原告の果たした役割を全く否定したり、嫌がらせをしたりする意思があったということはできない。

さらに、共同研究や共著論文の場合において、摘要欄に各著者の役割分担を記載するか否か、記載する場合にどのような方法でどの程度まで記載するかについては、特段の規則があるわけではなく、各業績書を記載する個々人の学者としての判断と良心に委ねられているにすぎないのである(乙第六号証の一、二、第七号証)。してみると、被告乙山が、業績書の記載方法の規則に反してまで、ことさらに虚偽の記載をしたとまではいうことはできない。

これらに照らして考えると、被告乙山が研究(一)及び(二)について業績書に前記のように記載した行為は、原告に対して専ら嫌がらせをする目的で行うなど、加害の意思を持って行ったものであると認めることはできない。

被告丙村についても、本件研究グループの一員として被告乙山の教えを請う立場にあるものであり、本件研究グループの一連の研究に着目したときの被告乙山の果たした役割の大きさからすれば、被告丙村の業績書の記載はおよそ根拠のないものではないし、また、原告の業績を全く否定したり、嫌がらせをしたりする意思のあったものということはできないのであって、加害の意思を持って行ったものと認めることはできない。

別表

実際の研究分担

被告らの業績書の記載

被告乙山のA No17

執筆  原告

講演  原告

実験  E

実験  E、K、原告

計算  原告

計算  被告乙山

作図・作表  K

(被告乙山は

関与せず)

総括  被告乙山

解析  被告乙山

評価  被告乙山

被告乙山のA No20、被告丙村のNo14

執筆  原告

講演  原告

実験  E

実験  被告丙村

計算  原告

計算  K、原告

作図・作表  K

(被告乙山及び

被告丙村は

関与せず)

総括  被告乙山

解析  被告乙山

助言  E

以上の事情にかんがみれば、研究(一)及び(二)に関する被告らの業績書への記載において役割分担が正確に記載されていないことは社会通念上許された限度を超えたものということはできず、原告の名誉感情を違法に侵害するものではないというべきである。

3  研究(一)及び(二)は、原告が、本件各研究のうち、原告が名誉感情に対する侵害が特に著しいものであるとして挙げたものであり、これらについて右のとおり不法行為の成立を否定する以上、本件各研究のその余のものについても、不法行為の成立を肯定することはできないというべきである。

三  結論

よって、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官髙世三郎 裁判官小野憲一 裁判官小野寺真也)

別表<一部省略>

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